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大阪高等裁判所 昭和63年(ネ)1972号 判決

控訴人

片桐禮子

控訴人

片桐友信

右控訴人ら訴訟代理人弁護士

林幹夫

藤原浩

被控訴人

片桐貞光

被控訴人

財団法人

高林庵

右代表者理事

片桐貞光

右被控訴人ら訴訟代理人弁護士

坪野米男

主文

一  控訴人らの本件各控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  控訴の趣旨

1  原判決を取消す。

2  被控訴人財団法人高林庵(以下「被控訴人高林庵」という。)の訴えを却下する。

仮に右訴え却下の申立が認められない場合には、被控訴人高林庵の請求を棄却する。

3  被控訴人片桐貞光(以下「被控訴人貞光」という。)の請求を棄却する。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

次に訂正、付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決の訂正

1  原判決八枚目裏一一行目の「前記」の前に「被控訴人高林庵の控訴人らに対する原判決添付別紙目録記載の(一)の建物(以下「本件(一)の建物」という)の明渡請求は、控訴人片桐友信(以下「控訴人友信」という)が石州流宗家一六代家元を襲名したことに対する被控訴人貞光の私怨にもとづき、何ら正当な理由もなく、右家元集団の茶道活動そのものまで否定しようとするものであり、そのほか」を加える。

2  同九枚目表一行目の「本訴請求は」を削除する。

二  控訴人らの主張

1  被控訴人貞光が被控訴人高林庵の理事の資格を有しないことについて

既に主張したとおり、被控訴人貞光の理事選任の前提となった評議員選任に関する昭和六〇年一一月三日の理事会(以下「一一月三日理事会」という)は、安満勝良および上田テルの二名の理事だけで開催されたもので、定足数を欠き無効である(原判決六枚目裏七行目から七枚目裏七行目まで)。このように、残存理事の数が定員に満たない場合の定足数については、残存理事の数ではなく、定員の最低数を基礎として算定すべきことは、定足数を要求した会議体一般にあてはまることであって、会議体運営の基本原則であり、会議体の典型である株式会社の取締役会の定足数についても、現存取締役の数が法律または定款で定める員数の最低限を下回っている場合には、その最低数を基礎として算定すべきであり、現存取締役の数が最低限の定数を下回っている場合には有効な取締役会を開催できず、その場合には仮取締役の選任を裁判所に請求しなければならないと解されている。このことは公益法人の理事会についても同様であって、定足数算定の基礎は、定款または寄附行為その他の法人規則によって特別の定めがない限り、理事定員から議決権を持たない理事の数を引いた数によるべきであり、理事の死亡、解任等で理事が欠け、残存理事数が理事会の定足数を満たし得なくなった場合には、仮理事の選任を裁判所に請求すべきである。

株式会社の取締役会が業務執行に関する会社の意思を決定する法律上の必要的機関であるのに対し、公益法人の理事会は、法定の機関ではなく、定款または寄附行為によって設けられるものであるが、そのことは、理事会の定足数について、株式会社の取締役会の定足数と区別する理由にはなり得ない。すなわち、公益法人についても、ひとたび定款または寄附行為によって理事会が設けられた以上、法人の業務執行に関する意思決定は理事会によって行われるのであり、そうである以上、理事会は公益法人の機関としての性格を持つことになる。現実にも、公益法人の大半は、定款または寄附行為によって、代表権を有する理事以外の理事は単に理事会の構成員とされているにすぎず(被控訴人高林庵の場合もそうである)、実際に法人の機関として機能しているのは、理事ではなくて、理事会である。したがって、公益法人の理事会の性格および機能は、株式会社の取締役会のそれと極めてよく類似しており、両者の会議体としての性格を区別すべき実質的な根拠は存在しない。

そのために、民法の規定だけでは公益法人の健全な運営と統一的な指導監督を行うことが困難であるとして、総務庁勧告により、昭和六一年七月、「公益法人の運営に関する指導監督基準」が示され、現在では、この基準に従って、主務官庁による指導監督が行われているが、右基準においても、民法の規定にかかわらず、公益法人の機関として必ず理事会を設置するものとし、理事の多数の意思が適正に反映するように、その成立要件および議決要件を定めること、理事の定数は、法人の実態から見て適正であることを要し、理事のうち、同一親族、特定企業の関係者、その他特別の関係にあるものが占める場合には、その割合は、理事会を実質的に支配するに至らない程度にとどめることが要求されている。

このように、右基準によれば、公益法人の理事会は、必要的機関であり、その運営も株式会社の取締役会以上に厳格な規制を受けていることになるが、公益法人の中でも、特に財団法人については、とりわけ厳格な規制が要求されていると解すべきである。なぜなら、株式会社では、株主総会、社団法人では社員総会という、それぞれ最高の意思決定機関が存在し、最終的にはそこで取締役会や理事会の議決をチェックし、是正することができるが、財団法人では、そのような意思決定機関が存在せず、その結果、理事会の権限が極めて大きくなり、独断専行を生ずるおそれが強いからである。したがって、財団法人の理事会の運営においては、寄附行為に定める理事会の開催ならびに決議の要件をできるだけ厳格に解する必要があり、少なくとも手続上の公正さが厳しく担保されるべきである。

株式会社が営利を目的とし、公益法人がそうでないということも、理事会の運営を株式会社の取締役会よりも緩やかにすべき理由とはなり得ず、むしろ逆に、そうであるからこそ、理事会の決議が少数の理事の意思に偏ったものにならないよう、定足数の定めを厳格に遵守すべきである。

「一一月三日理事会」においては、定足数は五名以上であったから、二名の理事だけで行われた同理事会における評議員選任の決議は、定足数を欠き、無効であり(株式会社の取締役会につき最高裁昭和四一年八月二六日判決・民集二〇巻六号一二八九頁参照)、無効な選任にもとづく評議員による被控訴人貞光らの理事選任決議も無効である。

2  被控訴人高林庵の本件訴えは、法律上の争訟性を有しない。

本件訴訟は、茶道石州流宗家「高林庵」(以下「石州流宗家」という)の家元が、長年にわたり家元集団の本部として使用してきた高林庵の建物(原判決添付別紙物件目録記載の建物。以下「本件建物」という)の管理ないし使用をめぐり、被控訴人高林庵が、控訴人らに対し、本件建物の明渡等を請求するという形で争われているが、実質的な争点は、ともに石州流宗家の一六代家元であると主張する控訴人友信と被控訴人貞光との流派をめぐる争いであり、いずれが正当な一六代家元として、石州流宗家の本拠である本件建物の使用が認められるかという点にある。

本件建物は、石州流宗家の家元が、その家元活動の本拠として使用すべきものであることは疑いがなく、したがって、本件建物の使用権は、石州流宗家の正当な家元たるべき者に認められるものであるから、本件において、控訴人友信と被控訴人貞光のいずれに本件建物の使用権があるかを決するためには、右両名のいずれが石州流宗家の正当な家元であるかを判断しなければならない。

そして、右両名のいずれが石州流宗家の正当な家元であるかということは、一五代家元であった泰光(茶名貞泰)の死去にともない、一六代家元を正当に襲名したのはそのいずれであるかの判断が前提とならざるを得ず、その判断をするについては、家元襲名の根拠と手続についての流儀をめぐる解釈ないし価値判断が不可欠であるが、それは単なる経済的、市民的事象とはまったく異質な事柄であり、近代法以前の組織である家元制という極めて特異な部分社会における茶道の流派、流儀をめぐる内部規律ないし価値基準の内容に立ち入ることなくしては不可能な性質のものである。

その流派において、家元が絶対的な権力を有し、門弟が家元を絶対的最高の権威者として崇奉するところは、一種の信仰団体ともいうべきものであり、石州流宗家の家元活動は、単に点前の技能を指導し、免状を発行するだけではなく、茶道を通じての神秘的で信仰的な活動も多く、献茶式典等の行事などは宗教色の強いものであり、これらの点からすれば、家元制度は、頂点に教祖がいて、その周りに中間教授的な人物が存在し、その下に多数の信徒が従うという形態において、宗教団体の構成と極めて類似した組織体である。

以上のとおり、本件紛争は、宗教団体の内部紛争に類似し、これと共通の性質を有するものであり、憲法二一条、二〇条、一九条の趣旨に照らし、これらの問題については、裁判所は中立を保つべきであり、家元集団という、一般市民法秩序と直接の関係を有しない特殊な部分社会の内部問題として、司法審査の対象から除外されるべきである(本件と類似の事案についての最高裁平成元年九月八日判決・民集四三巻八号八八九頁参照)。したがって、被控訴人高林庵の本件訴えは、法律上の争訟に当たらないものとして、却下すべきものである。

3  被控訴人高林庵の本件建物明渡請求について

控訴人友信は、本件建物について、石州流宗家一六代家元としてこれを占有使用する権原を有することは既述のとおり(原判決八枚目裏三行目から一〇行目まで)であるが、それは以下のとおり賃借権ないし賃借権類似の権利であるか、または、使用借権である。

すなわち、本件建物は、もと水田秀光の私邸で、同人の所有であったが、昭和一〇年頃以降は、石州流宗家の家元集団の本部として使用するために提供されていたもので、昭和二五年七月、同人の長男泰光が片桐家の養子として入籍し、一五代家元貞泰になったため、水田秀光は、本件建物を家元としての泰光に贈与した。そして、昭和三二年四月、被控訴人高林庵が財団法人として設立されたのにともない、本件建物は泰光より被控訴人高林庵に寄附され、同被控訴人の所有となったものである。したがって、遅くとも昭和一〇年以降、本件建物は、「高林庵」の名称で、一貫して茶道石州流の家元集団の本部として、家元がこれを使用占有してきた。

右のような本件建物の使用関係は、本件建物が被控訴人高林庵の所有になってからも変わりはなく、引き続き一五代家元泰光(貞泰)がこれを占有使用してきたものであり、同人の死後、同人の遺志により、控訴人友信は、一六代家元となり、本件建物を家元集団の本部として占有使用しているものである。

右事情に照らせば、本件建物が被控訴人高林庵の所有になり、所有者と占有者が形式上分離した昭和三二年の時点において、所有者である被控訴人高林庵と占有者である一五代家元泰光の間で、今後本件建物を茶道石州流家元集団の本部として使用する目的で、その家元の地位にある者が、本件建物を占有使用してゆくことを包括的に認める旨の合意が、少なくとも黙示的に、成立したものというべきである。

そして、その家元による本件建物の使用は、単なる無償使用ではない。すなわち、家元は、第一に、家元として本件建物を使用する以上、茶道石州流宗家の家元集団の統率と流儀普及のため、茶会の開催、点前の指導教授、免状の発行、全国各支部との連絡等の労務に服することになり、第二に、家元としての免状下付、茶会主催等による収入を被控訴人高林庵に提供することも当然の前提とされている。したがって、こうした家元による労務及び金銭の提供は、本件建物の使用に対する対価としての性格を有するものであるから、前記合意にもとづく家元による本件建物の使用は、家元を借り主とする賃借権ないし賃借権類似の権利と解すべきである。

また、仮に賃借権ないし賃借権類似の権利でないとしても、少なくとも使用貸借による使用借権である。

そして、控訴人友信は、一五代家元泰光(貞泰)の死亡により、同人の遺志にもとづき一六代家元を襲名し、石州流宗家の家元の地位に就いたことにより、一五代家元泰光(貞泰)の有していた右賃借権等の権利を承継したものである。なお、本件建物の使用権が、使用貸借によるものであるとしても、その使用借権は、泰光(貞泰)個人ではなくて、家元としての地位に対して認められたものであるから、同人の死亡によって終了するものではない。

また、石州流宗家の家元は、被控訴人高林庵から、茶道石州流の茶道活動を行うことを委託されているもので、被控訴人高林庵との間に準委任類似の法律関係があるから、石州流宗家の家元である控訴人友信は、この準委任類似の法律関係にもとづき、本件建物の使用権が認められているということもできる(住職たる宗教上の地位にもとづく寺院建物に対する使用権についての大阪高裁昭和四一年四月八日判決・高裁民集一九巻三号二二六頁参照)。

そして、控訴人禮子は、石州流宗家の一五代家元泰光の妻であり、また、控訴人友信の義母であるところ、泰光存命中は、泰光の占有補助者として、また、泰光の死亡後は、控訴人友信の占有補助者として、原判決添付別紙目録(一)記載の建物を適法に占有しているものである。

4  被控訴人貞光の理事としての職務執行の妨害排除請求について

仮に、被控訴人貞光が被控訴人高林庵の理事であるとしても、控訴人らは、被控訴人貞光の理事としての職務執行を妨害した事実はなく、また、被控訴人らからも、その理事としての職務を控訴人らが妨害したことにつき、具体的な主張、立証はないから、右請求は理由がない。

5  被控訴人貞光の本件建物明渡請求について

被控訴人貞光は、控訴人らに対し、控訴人らが原判決添付別紙目録記載の(二)の建物(以下「本件(二)の建物」という)に対する被控訴人貞光の占有を侵奪したとして、その占有権にもとづき明渡を請求するが、そもそも被控訴人貞光は、本件(二)の建物についての占有を有していなかった。すなわち、本件(二)の建物は、昭和四一年頃、被控訴人貞光が僅かな期間これを占有していたことがあったが、その後は、石州流宗家の本部の一部として、一五代家元泰光(貞泰)が、茶会等の茶道活動のために占有使用してきたものであり、被控訴人貞光がこれを占有使用することはなかったものである。

被控訴人貞光は、本件(二)の建物を占有していたことの根拠として、同人の布団や長持などの荷物が置かれていたと主張するが、その荷物も、押入の中にあったもので、畳の部分にあったものではないから、これによって被控訴人貞光の占有があったとは、到底認められない。

また、仮に被控訴人貞光が占有していたことがあったとしても、控訴人らは正当な自力救済として被控訴人貞光からその占有を回復したものである。すなわち、本件(二)の建物は、水田秀光が隠居用の部屋として戦後に増築したもので、同人死亡後は、一五代家元泰光(貞泰)が石州流宗家の施設である「高林庵」の一部として使用していたものであるが、昭和四一年頃、被控訴人貞光が結婚したときに、一五代家元泰光(貞泰)は、これを被控訴人貞光夫婦の部屋として使用させた。しかし、その二か月後に、一五代家元泰光(貞泰)は、被控訴人貞光の勝手気ままな態度が原因で、被控訴人貞光を右建物から追い出すことになった。被控訴人貞光は、右建物から退去するに際し、同人の妻の荷物の一部を残していった事実はあるが、右建物の占有はすべて一五代家元泰光(貞泰)に戻された。

その後、永年にわたり、右建物は家元集団の茶道活動のために使用されてきたが、昭和五八年七月頃、一五代家元泰光(貞泰)が死亡した後、被控訴人貞光は、高林庵本部の建物(本件建物)の一部(原判決添付別紙図面の建物のうち赤線及び青線で囲まれていない部分。ただし、離れの建物を除く。)を、突如実力をもって占拠するに至った。そして、控訴人らの抗議にもかかわらず、これを明渡そうとせず、単にこれより奥(本件(二)の建物部分)には侵入しないと約束するにとどまった。

その後、本件(二)の建物は、一六代家元の控訴人友信が、家元集団の茶道活動のため、高林庵本部の一部として使用占有していたが、昭和六〇年一二月二二日、被控訴人貞光は、右約束に反し、再び実力で本件(二)の建物の占有を侵奪するという暴挙に出た。しかも、控訴人友信の不在の日を狙い、本件(二)の建物の電線を切断し、荷物を運び込み、更に鍵まで設置するという、計画的で極めて強引な実力行使であった。

そのため、控訴人らは、このまま放置すれば更に他の部分の占有も侵奪されるのではないかと危惧し、ただちに、緊急の非常措置として、被控訴人貞光の設置した鍵を取り外し、その荷物を廊下に運び出して、本件(二)の建物の占有を取り戻した。

したがって、控訴人らが一方的に占有を侵奪したのではなく、原因は先に行われた被控訴人貞光の違法な占有侵奪にある。そして、控訴人らは、自らの防衛上やむを得ない措置として本件(二)の建物の占有を奪還したものであるから、右事情に照らせば、控訴人らの本件(二)の建物の占有回収行為は、自力救済に該当するとしても、急迫した事情におけるやむを得ない行為として違法性を阻却されるものである。

6  控訴人友信が石州流宗家の正当な家元であることについて

石州流宗家の一六代家元は控訴人友信であって、被控訴人貞光ではない。

被控訴人貞光は、一六代家元と自称しているが、昭和五七年八月頃、大徳寺芳春院にある石州流及び片桐家歴代の墓地改葬問題をめぐり、一五代家元貞泰と被控訴人貞光が対立したところ、被控訴人貞光は、自分を支持する石州流の一支部である石州会の支援を得て、同年一一月七日の石州会臨時総会において、石州流宗家の一五代家元貞泰と決別し、自ら家元として独自に活動を進めて行くことを宣言し、以後、被控訴人貞光と石州会は、石州流宗家から完全に離脱し、被控訴人貞光は、片桐家一六代家元と自称して、昭和五八年一月一五日の初釜の行事を開催するなど(その日には、本件建物である高林庵で、一五代家元貞泰による石州流宗家としての初釜の行事が行われているのであるから、被控訴人貞光が、自ら別に初釜の行事を開催したことは、石州流宗家を離脱したことを明確に示すものである)、一五代家元泰光(貞泰)の統率する石州流宗家とは、別個の家元集団を作って活動を始めた(この被控訴人貞光による新たな家元集団は、茶道界では、石州流宗家と区別して、「石州流片桐家」と呼ばれている)。

そのため、一五代家元泰光(貞泰)は、「財団法人高林庵石州流一六代家元は、被控訴人貞光には継承させない。控訴人友信に将来を託し、同人を一六代家元とする。」との遺言を残し、同年七月に死亡した。そこで、控訴人友信は、昭和五九年に控訴人禮子の養子となり、一五代家元泰光(貞泰)の右遺言による指名にもとづき、昭和六〇年一月、流派の手続に従って、石州流宗家一六代家元(茶名片桐貞友)を襲名したものである。

被控訴人らは被控訴人貞光が片桐家の直系であることを理由に石州流宗家の一六代家元であると主張しているが、それは「茶系」と「家系」とを混同した考え方であって、正しくない。すなわち、被控訴人らの右主張は、片桐家の代々の当主が世襲によって石州流宗家の家元になってきたことを前提とするものであるが、石州流は、もともと、家元が秘技、秘伝を最高弟子などに皆伝し、それと同時にその弟子に免許皆伝相伝の全権利をも譲り与えるという、「完全相伝」の相伝形式をとり、そのため、石州流ではその全体の宗家として片桐石州の後裔に当たる世襲の代々が流派全体の免許相伝の権利を独占するという家元制度は成立しなかったものである。

したがって、片桐石州直系の茶湯継承者としての家元制度というものはなく、片桐石州の家系承継者と茶道石州流の茶湯の後継者とは別個であり、被控訴人貞光が片桐家の直系であっても、そのことから直ちに石州流宗家の家元であることにはならないものである。

三  控訴人らの主張に対する認否と被控訴人らの反論

1  控訴人らの主張はいずれも争う。

2  「一一月三日理事会」の決議無効の主張について

株式会社の取締役会が業務執行に関する会社の意思を決定する必要的機関であるのに対し、民法上の法人の理事会の場合は、本来理事が単独で、法人の目的を達成するために、その法人の事務を執行し、対外的にこれを代表する権限を有するものである。そして、法人業務の効率的執行のため、理事長の規定を定め、更に一定の事項につき理事会に付議するために、寄附行為によって理事会が設けられたものに過ぎない。

したがって、財団法人の理事会の定足数につき、株式会社の取締役会と同様な規制に服せしめる必要はない。

被控訴人高林庵は、二代目理事長亡泰光の無知と怠慢により、理事と評議員の補充選任を行わずに長年月を経過し、理事の職務を行う者として安満勝良と上田テルが残ったのであるが、この場合には、右安満ら各理事が、それぞれ単独で業務を執行し、法人を代表する権限を有することは明らかである(大審院昭和九年二月二日決定・民集一三巻一一五頁)。そして、その残った理事で理事会を開催し、評議員を選任することも許されるといわなければならない。

その場合、定数に不足するとはいえ、法人内部に現に理事が存在するのに、わざわざ仮理事の選任によって外部の者によって評議員を選任するというがごとき迂遠な方法をとらなければならないとする実質的な理由もないし、また、右安満らが仮理事の選任を申請したとしても、被控訴人高林庵の財団設立の目的に照らし、設立当初からの理事である安満らの推薦する候補者が多数仮理事に選任される公算が大であるから、実質的には安満らだけで開催した理事会によって評議員を選任したのと変わりはなく、その意味からも仮理事選任の必要はないというべきである。

3  控訴人友信が一六代家元に指名されたという主張について

控訴人ら主張の一五代家元泰光(貞泰)の遺言書は、法的に無効である。

また、一五代家元泰光(貞泰)が死亡する直前の頃には、一五代家元泰光(貞泰)と被控訴人貞光とは親しくしていて、対立関係にはなかったから、右一五代家元泰光(貞泰)の遺言は、同人の真意であったかどうか疑わしく、同人の妻であった控訴人禮子に迫られて作った疑いが強い。すなわち、右遺言書には「財団法人高林庵の家元は流祖の遺言により、門弟の中より最高の人格識見を有する人を選ぶこと」と記載されているにもかかわらず、控訴人友信は茶道とはまったく無縁の生活をしてきたものであり、一五代家元泰光(貞泰)の門弟でもなく、茶道の心得もないし、しかも、最高の人格識見とは正反対の非行歴のある人物である。したがって、このような控訴人友信を一六代家元に指名することは「流祖の遺言」に反し、一五代家元泰光(貞泰)の意思とは到底考えられず、控訴人禮子が被控訴人高林庵の理事長になりたいがために、控訴人友信を一五代家元泰光(貞泰)に押し付けたものとしか考えられない。

一方、被控訴人貞光は、祖父の一四代片桐貞央の在世中、小学生の頃から茶道の手ほどきを受け、一五代家元泰光(貞泰)からも、その後継者として教育、指導を受けてきたもので、「副理事長」又は「若宗匠」として茶道の研鑚をつんできたものであって、一六代家元となったものである。

4  仮に、控訴人友信が茶道石州流の一六代家元であるとしても、家元(石州流宗家)と被控訴人高林庵とは法的に全く別個のものであるから、被控訴人友信には、原判決添付別紙目録記載(一)の本件(一)の建物を正当に占有・使用する権限はない。

5  本件紛争の背景に、控訴人らと被控訴人片桐貞光との間に石州流一六代家元の承継につき争いがあるが、家元争いは別個の問題であり、両家元が併立することは事実問題であって、本件とは直接関係がない。

四  被控訴人らの主張に対する認否いずれも争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一被控訴人貞光の被控訴人高林庵を代表する資格

一被控訴人高林庵が、肩書住所地に主たる事務所を置き、茶道の普及をはかるとともに、文化事業の振興をはかるため「高林庵」を設置経営し、もって社会文化の向上発展に寄与することを目的として設立された公益法人であることは、当事者間に争いがない。

二被控訴人貞光が被控訴人高林庵の理事長に選任されるまでの経過

右争いがない事実のほか、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、右認定に反する〈証拠〉はたやすく信用できず、ほかに以下の認定を覆すに足りる証拠はない。

1  茶道石州流は、大和郡山小泉一万二〇〇〇石の城主片桐石見守貞昌(石州宗関公)を開祖とする茶湯の流派である。

石州片桐家の家系は、茶人石州の貞昌から数えて一二代の貞篤で明治維新に至り、一三代貞健が子爵の爵位を受け、一四代貞央、一五代貞臣と爵位を承継し、昭和二〇年の敗戦により爵位を返上したが、被控訴人貞光は、右貞臣の長男で、石州宗関公の家系を承継する片桐家の当主である(〈証拠〉参照)。

2  昭和の初め頃、石州家系の一四代片桐貞央と片桐家旧家臣の水田秀光らが中心となって、茶道石州流宗家としての片桐家の復興が企画され、茶道石州流片桐宗家として発足し、右片桐貞央が一四代家元となった。

水田秀光は、私立藤井寺高等学校の理事長をしていた外、自動車の販売を業とする水田商会を経営する実業家であるとともに、市会議員なども勤めた政治家でもあるが、石州流宗家では、総務執事長として、実質上は、流派を主宰する実力者であった。

そして、一四代家元貞央の嫡子貞臣は、水田秀光の長女良子と結婚した。

貞臣は、戦後しばらく高林庵の建物に居住していたが、生活の乱れなどから、昭和二五年一月頃、「本日、高林庵の住所を引き揚げるので、妻良子や被控訴人貞光ら子供三名の養育をお願いする。」との旨記載した水田秀光宛の「証」と題する書面(〈証拠〉)を書き残こして家出をし、以来今日まで行方不明のままである。

右のように、片桐家一五代の当主を継ぐべき貞臣が家出をし、その当時、一四代片桐貞央は老齢で、既に片桐家当主を隠居しており、また、貞臣の長男の貞光はまだ年少であったところから、水田秀光のはからいで、同人の長男泰光が、片桐貞央の養子として片桐家に入り、被控訴人貞光が家元を継ぐまでの中継ぎとして、石州流宗家の家元を継ぎ、被控訴人貞光が成人して一人前になったときには、右石州流宗家の家元の地位を被控訴人貞光に返して、これを同被控訴人に承継させる旨の片桐家との約定の下に、昭和二五年に、右泰光が、当時の同人の妻楽代とともに、貞央と養子縁組をして同人の養子となり、片桐家に入籍した。

しかし、泰光は、片桐貞央の養子となった後も、引き続き大阪市役所等に勤めていて、石州流宗家としての茶道の仕事には従事しておらず、貞央が石州流宗家の家元の地位にあったところ、昭和三一年頃、右貞央が死亡したので、その後、養子の泰光が、石州流宗家の家元を襲名し、茶道の上では貞泰と名乗って、石州流宗家の一五代家元となった。

右泰光は、右一五代の家元に就任の当時から、片桐家の者や石州流宗家の関係者らに対し、いくいくは同人の後の一六代の家元は、貞央の嫡子である被控訴人貞光に譲って、同被控訴人に右家元を承継させる旨のことを繰り返し言明していたもので、右泰光が石州流宗家の一五代の家元に就任した当時は、勿論、その後、後記の如く泰光と被控訴人貞光とが不仲になる直前の昭和五六年頃までは、泰光自身を含む片桐家および石州流宗家関係者の間では、いずれ、被控訴人貞光が、泰光の実父である水田秀光の意向どおり、片桐家直系として、一六代家元になるものとしていた。

3  本件建物とその敷地は、もと水田秀光の個人所有であったが、石州流宗家再興の中心であった同人は、昭和九年頃、自分の私邸(別荘)であった本件建物とその敷地を、石州流宗家の茶道活動のために提供し、以後、本件建物は、「高林庵」の名で、石州流宗家の本部として、茶会その他の行事等、石州流宗家の茶道活動に使用されてきた。そして、同人の長男泰光が、貞央の養子として片桐家に入籍した際、水田秀光は、「高林庵」の建物、敷地を長男泰光に贈与した。

4  その後、茶道家元制度の近代化を企図して、石州流宗家を財団法人化することになり、昭和三二年三月二〇日に、前記水田秀光らが中心となって被控訴人高林庵を設立したが、それに伴って、「高林庵」の建物と敷地は、昭和三二年四月八日付で被控訴人高林庵に寄付され(登記は同月一九日付)、被控訴人高林庵の所有となった。

5  被控訴人高林庵の寄附行為(〈証拠〉)では、被控訴人高林庵は、茶道の普及をはかると共に、文化事業の振興をはかるため、「高林庵」を設置経営し、もって社会文化の向上発展に寄与することを目的とし、右目的を達成するために、(1)高林庵の維持、管理、(2)茶道文化の普及、(3)婦人教養向上のための講座、研修会、展覧会の開催、(4)各種文化事業に対する施設の提供、等の事業を行うとされている。

また、寄附行為では、役員として、理事七名以上一〇名以内(理事長一名)、監事二名または三名を置くほか、評議員若干名が置かれることになっており(一六条)、理事長は理事会で定め、理事および監事は評議員会で選任し(一七条)、評議員は、理事会の議決を経て理事長が委嘱する(一八条)ものとされた。

理事および評議員の任期は五年であり、理事および評議員は、その任期終了後でも後任者が就任するまでは、なおその職務を行うものと定められていた(二四条)。

被控訴人高林庵の設立時の役員は、次のとおりであった(〈証拠〉参照)。

理事 水田秀光、水田孝夫、豊岡豊太郎、上田テル、沢田すえの、安満勝良、柘植順子、佐藤貞一 以上八名

理事長 水田秀光

監事 重松文二、上田大三郎 以上二名

なお、被控訴人高林庵には、右のように役員である理事、監事のほかに、若干名の評議員を置くことになっていたところ、その設立の当初において、評議員は、書類上片桐泰光(一五代家元貞泰)、片桐良子(貞臣の妻すなわち被控訴人貞光の母)ら合計二一名が選任されたことになっていた。

また、一五代家元の泰光(貞泰)は、被控訴人高林庵の理事長でもなければ理事でもなかった。

6  被控訴人高林庵の初代理事長の水田秀光は、昭和三三年七月七日に死亡したので、右秀光の意思により、さきに片桐家の養子となっていた泰光が、被控訴人高林庵の新理事長に就任し、かつ、前記の如く、石州流宗家を承継して、その一五代家元となった。

7  その後、被控訴人高林庵の理事については、昭和四二年頃までは、適法にその改選の手続がなされてきたが、それ以降は、理事に欠員が生じても、その補充や改正の手続が行われたことはなかった。

8  一方、被控訴人貞光は、昭和一四年に貞臣の長男として東京で生まれたが、その後昭和一九年頃に、奈良県大和郡山市小泉に移り住み、右地元の小学校、中学校、高等学校を経て、昭和三六年に大阪商業大学を卒業したところ、被控訴人貞光は、六歳の頃より、祖父貞央から茶道の手ほどきを受け、小学校から大学に至るまでの間も、茶道の稽古を続け、被控訴人高林庵の所在地で行われる「お茶会」にも出席をしていた。

また、被控訴人貞光は、前記の如く、昭和三六年に大学を卒業し、ついで昭和四一年に現在の妻と結婚したところ、右大学を卒業後、一時会社に勤めたこともあったが、昭和五一、二年頃以降は、泰光(貞泰)の意向により、同人の下で、専ら被控訴人高林庵の仕事であり、かつ、石州流宗家の家元の仕事である業務に従事してこれを手伝うようになり、その関係者からは、被控訴人高林庵の「副理事長」とか、「若宗匠」と呼ばれていた。

9  ところで、前記の如く、片桐貞央の養子となり、ついで昭和三三年頃に、被控訴人高林庵の理事長となり、石州流宗家の一五代の家元を継いだ泰光(貞泰)は、養親である貞央が死亡した際に、同人の葬式を主宰しなかったところから、このことについて片桐家の関係者からは不満に思われていたところ、昭和五七年頃、京都市大徳寺境内の芳春院にある片桐家の墓を改修するに当たり、被控訴人貞光が、一六代目当主として、石州流宗家の全国支部から、右改修工事の資金を募り(〈証拠〉)、右募金をもって片桐家の墓の改修をしたことなどから、泰光がこれを不服に思い、このことに加えて、それ以前から被控訴人貞光の言動に不満の念を抱いていたこともあって、右昭和五七年頃以降、泰光と被控訴人貞光とは、次第に不仲の関係になった。

10  次に、石州流宗家の一五代家元で、かつ被控訴人高林庵の理事長であった泰光(貞泰)は、遅くとも昭和四三年頃以降は、被控訴人高林庵の理事であった者が死亡等により欠けても、その補充の手続をせず、かつ、理事会も開催しなかったので、被控訴人高林庵の設立当初からの理事であった安満勝良等が、昭和四七年頃から、理事長の泰光に対し、しばしば被控訴人高林庵の理事会を開催するよう求め、昭和五七年一二月には、内容証明郵便(〈証拠〉)をもって右理事会の開催を求めたが、泰光は、これに応ぜず、被控訴人高林庵の理事ないしその理事の職務を行う者が、右泰光、安満勝良、上田テルの三名のみになっても、被控訴人高林庵の理事を補充するための理事会を開催する手続をしないままに、放置していた。

11  そのうち、一五代家元泰光(貞泰)は、昭和五八年三月二〇日頃に枚方厚生年金病院に入院し、ついで同年七月一〇日死亡したところ、被控訴人高林庵においては、(1)昭和四七年四月一〇日開催の評議員会において、右泰光(貞泰)やその妻の控訴人禮子(昭和三三年一一月に泰光の後妻として結婚)を理事に選任する旨の決議がなされたとし、(2)昭和五二年四月一〇日開催の評議員会において、同じく泰光、控訴人禮子ら八名の者を理事に選任する旨の決議がなされたとし、(3)昭和五七年四月一〇日開催の評議員会において、同じく泰光、控訴人禮子らを含む八名の者を理事に選任する旨の決議がなされたとし、(4)昭和五八年七月一二日開催の評議員会において、渡瀬貞教、中原菊美を理事に選任する旨の決議がなされたとし、(5)昭和五九年三月一四日開催の評議員会において、前記安満勝良、片桐良子、上田テル等の理事を解任し、新たに熊埜万里子、橋田マサエを理事に選任する旨の決議がなされたとし、その旨の各登記がなされた。

12  また、控訴人友信は、昭和四七年に帝京大学を卒業し、その後、東京海上火災保険株式会社や株式会社ノリタケ等に勤務し、茶道の経験は全くなかったが、石州流宗家一五代家元泰光の遺言により、石州流宗家の一六代家元を継承することになったとし、昭和五九年五月頃、右泰光の妻であった控訴人禮子と養子縁組をして片桐姓を名乗るようになり、被控訴人高林庵所有の本件建物のうち、原判決添付別紙目録(一)記載の建物(本件(一)の建物)において、一六代家元としての活動を初め、控訴人禮子も、昭和五八年七月に被控訴人高林庵の理事長に選任されたとして、右理事長としての活動を始めた。

13  しかし、その後、前記安満勝良等が、奈良地方裁判所に提起した前記評議員会決議不存在確認請求事件(奈良地方裁判所昭和五九年(ワ)第一五五号、大阪高等裁判所昭和六〇年(ネ)第二二二一号、同第二五〇七号)において、右前記11に記載の(1)ないし(3)の決議は不存在であり、また、右(4)(5)の各決議は無効であるとの判決がなされ、右判決は確定したので、控訴人禮子は、被控訴人高林庵の理事ではなく、したがってその理事長でもないことが右判決で確定された。

14  一方、被控訴人貞光は、昭和五九年三月に一六代家元としての襲名披露を行い、その後は、控訴人友信と被控訴人貞光が、それぞれ自らが石州流宗家の正当な一六代家元であるとして、各自の門下の茶人を擁し、独自に茶道宗家としての家元活動を行っており、石州流宗家は、二派に分裂した状態で現在に至っている。

15  その間にあって、被控訴人高林庵の理事は、前記の如く昭和四三年頃以降死亡等により欠員が生じたにも拘らず、理事長であった泰光(貞泰)がその補充の手続をしないままに放置していたため昭和六〇年一一月頃には、設立当初から理事であった安満勝良と上田テルの二名のみとなり、この二名が、寄附行為二四条三項の定めにより、任期終了後も理事としての職務を行う者としての地位にあった。

そこで、右理事の職務を行う地位にあった安満勝良が、昭和六〇年一一月三日に、被控訴人高林庵の理事会を招集し、右同日、現存の理事の職務を行う者である安満勝良と上田テルの両名が出席して理事会を開催し、安満勝良が議長となり、安満勝良を理事長(正確には理事長の職務を行う者)と定め、かつ、被控訴人貞光、片桐良子、上田テル、安満勝良を含む二一名を評議員とする旨の議決をした(〈証拠〉)。そして安満勝良が、理事長として、右二一名にそれぞれ評議員を委嘱し、全員これを承諾した。

16  次いで、評議員としての安満勝良の招集により、同年一一月一二日に、被控訴人高林庵の評議員会が開催され、前記の如く右一一月三日に選任された二一名の評議員全員が出席し(但し、うち二名は委任状による)、被控訴人貞光、片桐良子、安満勝良、上田テルを含む九名を被控訴人高林庵の理事に、また、吉澤富、明石和子の二名を同じくその監事に、それぞれ選任する旨の決議をした。

そして、右同日、右の如くにして選任された理事安満勝良が、ただちに理事会を招集し、右九名の理事のうち八名が出席して理事会を開き、被控訴人貞光を理事長とする旨の決議をした。

右一一月一二日開催の評議員会で選任された九名の理事については、同年一二月二日付で就任登記が経由され、被控訴人貞光は、以上の各理事会、評議員会により、被控訴人高林庵の理事および理事長に就任して、現在に至っている。

三ところで

1  控訴人らは、前記認定の昭和六〇年一一月三日開催の理事会は、安満勝良が招集して開催されたものであるところ、右安満は理事長ではなく、理事会招集の権限はなかったから、右招集手続に瑕疵があって、右理事会の決議は無効であると主張する。

しかしながら、法人の理事は、もともと、法律上、対外的には理事各人が法人を代表し(民法五三条)、また、対内的には法人の事務一般を処理し、その内部組織を維持する権限を有するものであるから、寄附行為で定められた理事会招集権者である理事長が死亡等により存在しなくなった場合、あるいは、心身の故障により招集手続をとり得ない場合で、かつ、寄附行為に理事長の職務代行者の定めがないか、あるいは、寄附行為所定の理事長の職務代行者に該当する者も存在せず、しかも右理事長を選任することもできない場合には、例外的に一般の理事(平理事)ないし理事の職務を行う者が理事会を招集することができるものと解するのが相当であるが、仮にそうでないとしても、右一般の理事(平理事)ないし理事の職務を行う者の招集により、現存の理事ないし理事の職務を行う者の全員が出席して、理事会の決議をした場合には、右理事会の決議は有効であると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、〈証拠〉によれば、被控訴人高林庵では、理事会の招集は理事長が行い(寄附行為二八条)、理事長が欠けたときは、あらかじめ理事長が指名した理事がその職務を代行する(同一九条二項)ものとされていること。安満勝良は当時理事長ではなく、単に理事の職務を行う者であり、また、理事長から、その職務代行者の指名を受けていないこと、理事長は理事会で定めるとされているから、理事会を開かなければ理事長を選任することはできないこと等が認められ、また、当時、被控訴人高林庵には理事長が存在しなかったことは、前記認定の事実から明らかである(控訴人禮子が、被控訴人高林庵の理事長と称していたが、同女が適法に選任された理事ではなく、したがって、理事長でもなかったことは前記認定のとおりである)。

そうすると、被控訴人高林庵の一般の理事である安満勝良が招集した昭和六〇年一一月三日開催の理事会には、当時現存していた理事の職務を行う者の全員である安満勝良と上田テルとが出席して、右安満勝良を理事長(正確には理事長の職務を行う者)とする旨の決議をしたことは前記第一の二に認定したとおりであるから、右理事会は、招集権限のない者が招集したものであって、右理事会の決議は無効であるとの控訴人らの右主張は理由がない。

2  次に、控訴人らは、当時、安満勝良および上田テルには、右安満勝良を理事長に、被控訴人貞光外二〇名を評議員に選任する権限を有しなかったから、右理事会における右各選任の決議は無効であると主張する。

ところで、当時安満勝良および上田テルが、正規の理事ではなく、被控訴人高林庵の寄附行為二四条三項の「理事の職務を行う者」であったことは前記認定のとおりであるが、理事の職務を行う者であっても、後任者が就任するまでの間は、正規の理事と同一の権利義務を有するものと解すべきであるから、複数の理事の職務を行う者がある場合は、そのうち一名を「理事長の職務を行う者」と定め、被控訴人高林庵の寄附行為(〈証拠〉)一九条、二〇条所定の理事長の権限を行わしめること、および、理事会で評議員を選出することができるものと解すべきである。

したがって、前記第一の二に認定の如く、昭和六〇年一一月三日開催の被控訴人高林庵の理事会において、安満勝良を理事長(正確には理事長の職務を行う者)に選出し、また、被控訴人貞光を含む二一名の者を評議員に選出することにする旨の決議をしたこと、そして、その後右安満勝良が、右理事会の議決を受け、被控訴人高林庵の理事長として、右二一名の評議員の委嘱を行ったことは、いずれも適法というべきであるから、この点の控訴人らの主張も理由がない(なお、仮に、安満勝良が理事長になり得ないものであったとしても、前記の如く、法人の各理事は、もともとすべて法人の事務につき法人を代表する(民法五三条)から、理事会で選出した評議員に対し、同人がした委嘱行為が無効となることはないものというべきである。)。

3  次に、控訴人らは、被控訴人高林庵の寄附行為では、理事会開催の定足数は、五名ないし七名であるところ、昭和六〇年一一月三日に開催の理事会は、安満勝良、上田テル二名のみの出席で開催されたものであるから、右理事会の決議は、定足数を欠き無効であると主張する。

ところで、前記第一の二において認定したとおり、被控訴人高林庵の寄附行為では、七名以上一〇名以内の理事を置くとされているところ、〈証拠〉によれば、被控訴人高林庵の寄附行為では、理事会は、理事現在数の三分の二以上が出席しなければ議事を開き議決することができないとされていることが認められる(寄附行為二九条一項)が後記(1)ないし(3)に記載の諸点に照らして考えると、右理事現在数とは、寄附行為上の理事定数ではなく、現に理事の職にある者(理事の職務を行う者を含む)の数を意味するものと解するのが相当である。

のみならず、仮に、被控訴人高林庵の寄附行為の上では、理事会を開催するためには、右寄附行為に定められた数(本件では七名ないし一〇名)の理事のうちの三分の二以上の理事の出席が必要であると解しても、本件においては、以下にのべる理由により、前記昭和六〇年一一月三日開催の理事会の議決は、有効であると解すべきである。

すなわち、(1)民法五二条一項は、法人には、一人又は数人の理事を置くことを要すると定めているから、数人の理事を置くことは、任意的であって、必ずしも法律の要求するところではなく、理事は一人でも足りるし、(2)また、前記の如く、法人の理事は各人がその事務について法人を代表すると定められており(民法五三条)、(3)さらに、理事の欠けた場合において、遅滞のため損害の生ずる虞れのあるときは、所定の手続で仮理事を選任することができるが(民法五六条)、他に理事がいて、法人又はこれと取引をする相手方に損害の生ずる虞れのないときには、仮理事を選任する必要がないと解せられるところ、理事や理事長が死亡して、その後任を補充するための理事会を開催する場合には、必ずしも仮理事を選任する必要はなく、現存する理事で理事会を開催して、右欠けた理事や理事長の後任を選任する手続(決議)をしても、他に特段の事情のない限り(本件ではこの特段の事情は認められない)、法人やその取引の相手方に損害の生ずる虞れはないと解すべきである。

そして、以上の諸点からすれば、被控訴人高林庵の寄附行為において、理事は七名以上一〇名以下を置くと定められ、また、理事会は、理事の三分の二以上の出席がなければ開催できないと定められているにしても、右寄附行為に定められた三分の二以上の理事が現存しない場合には、仮理事を選任するまでもなく、三分の二未満の現存する理事全員が出席して開催された理事会の決議は、法律上は有効と解すべきであって、これを当然無効と解するのは相当でないというべきである。

4 もっとも、株式会社の取締役会の定足数については、控訴人らの主張するように、法律または定款で定める定数の最低限を基礎として算定すべきであると解されているとしても、民法上の公益法人については、必ずしも株式会社の取締役会と同様に解さなければならないものではない。すなわち、株式会社においては、法律上取締役は三人以上を置くことを要し(商法二五五条)、また取締役会は必要不可欠の法定の機関であって、全般的に会社の業務執行を決し、取締役の職務を監督するだけでなく、特に重要な業務執行について決定すべき権限が法律上明文で規定されているのである。これに対し、民法上の法人においては、理事は、前記の如く、本来、対外的に各自法人を代表し、内部的にも各自その業務執行を行う権限を有する法定の機関であるが、理事会は、法定の機関ではなく、数人の理事が置かれた場合において、法人の意思統一をはかる目的で、一定の事項について付議するため、定款または寄附行為によって設けられる任意機関に過ぎないのである。そして以上の他、株式会社と民法上の法人との性質の相違を考慮すれば、理事会の開催およびその議決の定足数については、これを株式会社の場合のように厳格に要求することは、相当でないと解すべきである。

そのほかに前記控訴人らの主張において指摘された問題点を考慮しても、右と異なる解釈をすべきものとは解することができず、この点についての控訴人らの見解は採用し難い。

5  したがって、被控訴人高林庵の理事の職務を行う権限を有する安満勝良と上田テル(現存する者の全員)が出席して昭和六〇年一一月三日に開催された理事会の決議は、有効であるというべきであって、右決議が無効であるとの控訴人らの主張は理由がない。

四そうすると、一一月三日開催の被控訴人高林庵の理事会において、安満勝良を理事長(正確には理事長の職務を行う者)に、被控訴人貞光らを含む二一名を評議員にする旨の議決は有効であるというべきところ、その後右安満理事長が正式に委嘱した右評議員による同年一一月一二日開催の被控訴人高林庵の評議員会において、被控訴人貞光を含む九名の理事が選任され、次いで、右理事による同年一一月一二日開催の理事会において被控訴人貞光が理事長に選出されたのであって、右各選任の議決は、いずれも有効というべきであるから、被控訴人貞光は、被控訴人高林庵の理事であり、かつ理事長であるというべきである。

よって被控訴人貞光が被控訴人高林庵の正当な代表者ではないことを理由に、被控訴人高林庵の本件訴えは不適法であるとして、その却下を求める控訴人らの本案前の申立ては理由がない。

第二次に、被控訴人高林庵の本件訴えは法律上の争訟性がないとの控訴人らの主張について判断する。

控訴人らは、被控訴人高林庵の本件請求は、本件建物の明渡請求等、高林庵建物の管理、使用をめぐる争いの形をとっているが、実質的な争点は、ともに石州流宗家の一六代家元を名乗る控訴人友信と被控訴人貞光の、いずれが正当な家元として、石州流宗家の本拠である本件建物の使用権を有するかということにあり、その判断のためには、家元襲名の根拠と手続についての流儀をめぐる解釈ないし価値判断が不可欠であるところ、右解釈ないし価値判断をするためには、家元制という極めて特異な部分社会における茶道の流派、流儀の内部規律ないし価値判断の内容に立ち入らざるをえないのであって、右判断は、いわば宗教団体の内部紛争に対する判断をすることに類似しているから、司法審査の対象とはならないものである、と主張する。

しかしながら、本件紛争に至った原因として、ともに石州流宗家の一六代家元を名乗る控訴人友信と被控訴人貞光の、いずれが正当な家元であるかという、家元襲名の正当性をめぐる両者の争いがあり、事実上二派に分裂し、それぞれ独自に家元活動を行っているにしても、後記のとおり、本件においては、被控訴人高林庵の控訴人らに対する原判決添付別紙目録(一)記載の建物(本件(一)の建物)の明渡請求の当否を判断するためには、控訴人友信と被控訴人貞光とのいずれが石州流宗家の正当な一六代家元であるかということを判断する必要はないのである。

のみならず、訴訟が具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとっており、信仰の対象の価値ないし宗教上の教義に関する判断は、請求の当否を決するについての前提問題にとどまるものとされていても、それが訴訟の帰すうを左右するに必要不可欠のものであり、紛争の核心となっている場合には、裁判所法三条にいう法律上の争訟にあたらないけれども(最高裁昭和五六年四月七日第三小法廷判決・民集三五巻三号四四三頁、最高裁平成元年九月八日第二小法廷判決・民集四三巻八号八八九頁各参照)、本件において、控訴人友信と被控訴人貞光とのいずれが石州流宗家の一六代の家元であるかとの判断をするためには、石州流宗家における茶道の流派、流儀、技能等に対する価値判断をする必要はなく、ただ、右一六代家元の選任に関する事務的な手続の適否を判断すれば足りることは弁論の全趣旨から明らかであるから、本件訴訟は、裁判所法三条にいう法律上の争訟に当たるものと解すべきである。控訴人ら引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。

したがって、被控訴人高林庵の請求が裁判所の司法審査の対象外であって、法律上の争訟性がないとする控訴人らの主張は理由がない。

第三被控訴人らの請求の当否

一まず被控訴人高林庵の建物明渡請求について判断する。

1  被控訴人高林庵が、おそくとも昭和六一年八月二四日以降、本件建物を所有していること、控訴人らが、おそくとも右同日以降本件(一)の建物を占有していることは、当事者間に争いがない。

2  控訴人らは、被控訴人友信は、石州流宗家の一六代家元として、石州流宗家の本拠である本件建物に対し、賃借権あるいは賃借権類似の権利もしくは使用借権か、そうでないとしても、被控訴人高林庵の石州流宗家家元に対する準委任関係にもとづく使用権を有すると主張する。

ところで、本件建物は、もと控訴人友信及び被控訴人貞光の祖父である水田秀光の所有であったが、昭和二五年に泰光が貞央の養子となった際に、泰光に贈与されたものであって、昭和三二年三月に、被控訴人高林庵が設立される以前から、石州流宗家の家元が、流派の茶道行事その他の家元活動を行う石州流宗家の本部施設として使用してきたものであるところ、被控訴人高林庵設立にともない、泰光が本件建物を被控訴人高林庵に寄附して、同被控訴人の所有となったものであること、そしてその後も、本件建物は、被控訴人高林庵ないしその理事長で、かつ一五代家元の泰光(貞泰)が、石州流宗家の家元の茶道行事や家元活動を行うために使用してきたものであることは、前記第一の二に認定したとおりである。

そして、被控訴人高林庵は、前記認定のとおり、石州流宗家の茶道家元制度を近代化するために、これを財団法人としたものであって、その事業目的は、茶道の普及をはかるとともに、文化事業の振興をはかるために、「高林庵」を「設置経営し、もって社会文化の向上発展に寄与することを目的とするものであり」、右目的を達成するために、(1)高林庵の維持・管理、(2)茶道文化の普及、(3)婦人教養向上のための講座、展覧会の開催、(4)各種文化事業に対する施設の提供等の事業を行うものとされているところ(前記第一の5、〈証拠〉の寄附行為第四条、第五条参照)、このような被控訴人高林庵の設立された趣旨、その事業目的、並びに、前記第一の二に認定の諸事実、〈証拠〉等に照らして考えれば、被控訴人高林庵所有の本件建物は、被控訴人高林庵の理事長ないしは被控訴人高林庵の承認を受けた者が、茶道の家元としての行事、活動等を行う場合に、その使用が認められる関係にあるのであって、石州流宗家の一五代家元であった泰光(貞泰)も、被控訴人高林庵の理事長となった昭和三三年以降は、被控訴人高林庵の事業として、右家元活動をしていたために、被控訴人高林庵から本件建物の使用を認められていたに過ぎなかったものと認めるのが相当である(控訴人らは、石州流宗家の家元は、被控訴人高林庵から、茶道石州流の茶道活動を行うことを委託されていたと主張するが、石州流宗家の家元と被控訴人高林庵との間に、法律上の委託関係があったとは、前記事実に照らし、認め難い。)。

したがって、仮に、控訴人友信が、石州流宗家の一六代の家元であるからといって、被控訴人高林庵とは全く無関係に、その家元活動を行うために、本件建物を占有使用することは許されないものというべきである。そして、控訴人友信が、被控訴人高林庵とは無関係に、本件(一)の建物を利用して、家元活動をしていることは、後記のとおりである。

3  なお、控訴人らは、控訴人友信が、一五代家元泰光(貞泰)の遺言による指定にもとづき、一六代家元を襲名したもので、現に石州流宗家の正当な家元の地位にあると主張する。

しかし、前記認定のとおり、石州流宗家において、泰光(貞泰)がその一五代家元となったけれども、右泰光は、もともと石州流宗家一四代の家元である貞央の長男の貞臣が家出をし、右貞臣の長男の被控訴人貞光が年少であったところから、被控訴人貞光が成人して一人前になるまでの中継ぎとして、昭和二五年に貞央の養子となり、ついで昭和三一年頃貞央が死亡したので、その後石州流宗家の一五代家元の地位を承継したものであって、右泰光が貞央の養子となり、かつ一五代の家元を承継するに際しては、被控訴人貞光が一人前になったときには、同被控訴人を石州流宗家の一六代家元にする約定であったから、他に特段の事情の認められない本件においては、被控訴人貞光以外の者を石州流宗家の一六代の家元とすることは、右約定に反するものといわなければならない。

したがって、一五代家元の泰光(貞泰)が右当初の約定を破り、一方的に、被控訴人貞光を石州流宗家の一六代家元にせず、控訴人友信を右一六代家元にする旨の遺言をしても、控訴人友信について、正当な一六代家元であるといえるか否かは甚だ疑問であって、たやすくこれを肯定することはできない。

4  次に、〈証拠〉によれば、控訴人友信は、昭和五九年七月以来、高林庵の中の原判決添付別紙目録(一)記載の本件(一)の建物を占有使用し、これを本拠として、石州流宗家の家元としての活動を行っているが、右活動は、被控訴人高林庵の承諾を得ることなく、同被控訴人とは全く無関係に行っていること、また、控訴人禮子は、被控訴人高林庵の理事長と称して、控訴人友信とともに本件(一)の建物において茶道家元の活動を行っており、かつ、控訴人禮子は、本件(一)の建物に起居をして右建物を占有していることが認められ、右認定に反する〈証拠〉はたやすく信用できず、ほかに右認定を左右するに足りる証拠はない。

5  そうすると、控訴人友信は、本件(一)の建物につき、被控訴人高林庵に対抗し得る賃借権あるいは賃借権類似の権利もしくは使用借権、準委任関係に基づく使用権等を有するものとはいえないから、結局、控訴人友信及び同禮子は、被控訴人高林庵に対抗し得る何らの権原もなく不法に本件(一)の建物を占有しているものといわなければならない。

6  次に、控訴人らは、被控訴人高林庵の設立者の財団意思は、高林庵の建物(本件建物)を石州流宗家の家元流派集団の施設として使用することにより、その家元流派集団の活動を保障することにあり、財団法人の役員として、目的財産の管理を担当する理事は、その財団意思を忠実に実行する職責と義務を負うものであり、これに反する行為を行う権限を有しないものであるから、被控訴人貞光が、被控訴人高林庵の理事として、石州流宗家の家元である控訴人友信および同控訴人の意思にもとづく控訴人禮子の本件(一)の建物の占有を奪おうとすることは、右のような財団意思および寄附行為の趣旨に反し、理事としての権限外のことであり、本訴請求は理事の権限を逸脱するもので許されず、そうでないとしても、権利の濫用として許されないと主張する。

しかし、前記認定のとおり、被控訴人貞光は、法律上有効に、被控訴人高林庵の理事及び理事長に選任され、かつ、石州流宗家一六代の家元を名乗って、家元活動をしているものであるのに対し、控訴人友信は、被控訴人高林庵とは無関係に石州流宗家一六代の家元と称して、本件(一)の建物で家元活動をしているものであって、被控訴人高林庵に対抗し得る何らの権原もなく、本件(一)の建物を占有しているものである。そして、このことに前記第一の二に認定の諸事実を照らせば、被控訴人高林庵の理事が、本件建物を無権原で占有する者に対し、被控訴人高林庵の所有権にもとづき、控訴人らに対し、本件(一)建物の明渡請求をすることが、理事としての権限を逸脱するものとはいえないし、また、控訴人らに対し、本件(一)の建物の明渡を求める被控訴人高林庵の本件請求が権利濫用となるものではない。

なお、控訴人らは、被控訴人高林庵の本訴請求は、控訴人友信が一六代家元を襲名したことに対する私怨にもとづき、何ら正当な理由もなく、同被控訴人の家元活動そのものを否定しようとするものであるとの主張もしているが、右事実を認めるに足りる的確な証拠はなく、そのほか、被控訴人高林庵の本件請求が権利の濫用として許されないものとすべき事由も認められない。

したがって、控訴人らの右の点の主張は理由がない。

二次に、被控訴人貞光の理事(理事長)としての職務執行の妨害禁止請求について判断する。

1  被控訴人貞光が、有効に選任された被控訴人高林庵の理事であり、かつ、理事長の地位にあることは、前記認定のとおりである。

2  次に、〈証拠〉によれば、控訴人友信が家元として主催する献茶式等の行事の案内状(〈証拠〉)に、控訴人禮子が、「茶道石州流高林庵 理事長」という肩書きを示し、控訴人禮子が編集責任者兼発行者として発行している控訴人友信を家元とする流派の機関誌「高林」の昭和六二年九月号(〈証拠〉)に、発行所あるいは編集部所在地として「財団法人高林庵」と表示するなど、あたかも控訴人禮子が被控訴人高林庵の理事長であるかのような行為をしていること、控訴人らが、被控訴人高林庵作成にかかる金銭出納帳等の帳簿類を保管して、これを被控訴人らに引き渡さないことが認められるので、控訴人らは、これらの行為によって、被控訴人貞光の被控訴人高林庵の理事(理事長)としての職務を妨害しているものというべきである。

したがって、控訴人らに対し、被控訴人貞光の被控訴人高林庵の理事(理事長)としての職務の執行の妨害禁止を求める被控訴人貞光の請求は理由がある。

三さらに、被控訴人貞光の建物明渡請求について判断する。

1  〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は信用できず、ほかに以下の認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 原判決添付別紙目録(二)記載の本件(二)の建物は、かつて、水田秀光が隠居所用に増築したもので、畳敷の二間からなる建物部分であるが、昭和四一年に被控訴人貞光が結婚したときに、水田秀光の了解を得て、約一か月間被控訴人貞光が居住し、その後被控訴人貞光が現居住部分(原判決添付別紙図面のうち、赤線および青線部分以外の部分)に移転した後も、その一部に被控訴人貞光夫婦の荷物がそのまま置いてあり、また、一五代家元泰光(貞泰)の死後は、被控訴人貞光が、茶会の準備用の部屋として使うなど、被控訴人貞光において使用占有してきた。

(二) ところが、昭和六〇年一二月二五日に、被控訴人貞光の不在中、控訴人らが、人夫数名らを使って、本件(二)の建物の中にあった被控訴人貞光夫婦の荷物を運び出したうえ、控訴人友信の荷物を搬入し、鍵も取り替えて施錠し、被控訴人貞光において立ち入りできない状態にして被控訴人貞光の前記占有を奪い、現在に至っている。

2  右認定の事実によれば、被控訴人貞光は本件(二)の建物を使用占有していたところ、控訴人らにおいて、その占有を侵奪したものと認められるから、被控訴人貞光は、控訴人らに対し、占有権にもとづき、本件(二)の建物の明渡を求める権利を有する。

3  控訴人らは、本件(二)の建物は、昭和六〇年一二月二二日頃までは控訴人友信が使用占有していたところ、同日頃、被控訴人貞光が勝手に荷物を運び入れるなどして、控訴人友信の占有を侵奪したので、同月二五日に占有を取り戻したにすぎず、右控訴人友信の行為は、被控訴人貞光の占有侵害行為に対する緊急の非常措置であり、自力救済としても許される場合にあたると主張し、〈証拠〉中には、右主張に添う供述部分があるが、右供述部分は、にわかに信用できず、ほかに右主張事実を認めるに足りる証拠はないから、控訴人らの右主張は理由がない。

4  したがって、被控訴人貞光の控訴人らに対する本件(二)の建物明渡請求は正当である。

第四結語

以上の理由により、被控訴人らの控訴人らに対する本件請求のうち、被控訴人高林庵の控訴人らに対する本件(一)の建物明渡請求、被控訴人貞光の控訴人らに対する、被控訴人高林庵の理事(理事長)としての職務執行の妨害禁止請求ならびに被控訴人貞光の控訴人らに対する本件(二)の建物明渡請求は、いずれも正当であり、これを認容した原判決部分は相当であって、控訴人らの本件各控訴は理由がないから、これを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官後藤勇 裁判官高橋史朗 裁判官小原卓雄)

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